ロバート・アボット 新テーブルゲーム作品集成
ロバート・アボット 著 『ロバート・アボット 新テーブルゲーム作品集成』 竹田原 裕介 訳
Robert Abbott 『Abbott's New Card Games』
冊子版(A5版ソフトカバー 本文292頁) 2022年10月29日発売 希望小売価格 税込3500円+税 (ISBN978-4-908124-67-9)
電子書籍版(Kindle版、PDF&EPUB版) 2022年10月29日発売(Kindle用は11月初旬発売予定) 希望小売価格 2000円 +税 (ISBN978-4-908124-68-6)
PDF&EPUB版 販売ページ(BOOTH) https://newgamesorder.booth.pm/items/4279040
『アボットはゲーム界の一部では有名な人物である。彼は…二十世紀のゲームに関するあらゆる百科事典や書籍に登場している。だがその一方で、アボットは大多数のゲーム愛好家にとって、ほとんど知られざる存在である。…彼はまたゲーム業界においても知られざる男だ。…なぜなのか?』『アボットによるゲームはいずれも、既存のアイデアと結びつける形で新しいアイデアを提示している。彼は「エリューシス」以外にゲームを十数作デザインしているが、そのどれもが革新的だ。彼によるチェスのバリエーションである「ウルティマ」では、歴史上のゲームに登場したあらゆる捕獲方法が凝縮されている。…「バベル」は同時アクションの仕組みを採用しており、これは後の数多くのゲームに見ることができる。「オークション」における目的はオークションによってカードを獲得することだ……同時に、そのカードはより価値の高いカードを獲得するために後に使用することになる。…「コンフュージョン」では、自分の駒の移動方法を知らず、相手の駒の移動方法だけがわかっているプレイヤーふたりによる闘争という状況を作り出した。前進を試みる中で相手から与えられた情報(ときには捕獲という結果になることもある)に基づき、プレイヤーふたりは自分の駒それぞれによってなにができるのかを推測することになる。』(スペイン語版序文より抜粋)
「早すぎたゲームデザイナー」ロバート・アボット (1933-2018)のゲームデザイン集成。
ロバート・アボット (Robert Abbott) ……1933年、ミズーリ州セントルイス生まれ。ゲーム/パズル作家。1959年にトランプゲーム『エリューシス』が雑誌で紹介されたことで脚光を浴びる。コンピュータ・プログラマーとして働く傍ら発表した『エパミノンダス』はドイツにおいて1980年の年間ゲーム大賞に推薦され、2012年にアメリカで再版された『コンフュージョン』は『Games』誌による年間最優秀新作アブストラクト・ゲーム賞を受賞している。他の著書に迷路/パズル集である『Mad Mazes』『Super Mazes』がある。2018年没。
目次
序文
目次
1. バベル 〈3人以上用〉
6人以上用ルール附録:バリアント2. レオパルド 〈2/4人用〉
4人用ルール附録:作品解説3. オークション〈2-7人用〉
附録:『オークション2002』について4. バラエティ 〈4人用〉
附録:作品解説5. メタモルフォシス 〈2-3人用〉
6. スイッチ 〈2/4人用〉
2人用ルールポーカー役附録:『ハイ・ハンド』7. エリューシス 〈3人以上用〉
エリューシスについて戦略について附録:作品解説附録:『ジーニアス・ルールズ』について8. コンストラクション 〈2人用〉
ルール要約9. ウルティマ 〈2人用〉
戦略について附録:作品解説附録:1968年版ルール附録:著者インタビュー(2001年)附録:バリアント附録:ウルティマ・パズル附録:ウルティマの問題点〈巻末附録〉
附録1. 『4つの新しいカード・ゲーム』抜粋
附録2. 『オークション2002/エリューシス』
イントロダクションオークション2002エリューシス附録3.『エリューシス・エクスプレス』
附録4. ホワッツ・ザット・オン・マイ・ヘッド? 〈3-6人用〉
作品解説ルールブック『コード777』について附録5. エパミノンダス 〈2人用〉
作品解説『アブストラクト・ゲームズ』誌による紹介とルール戦略ツリーの下に附録6. コンフュージョン 〈2人用〉
作品解説ルールブック2011年版の変更点著者インタビュー(2011年)附録7. 書評その他
モアヘッドによる書評(1963年)スペイン語版序文著者インタビュー(2005年)私のゲームの使用条件
訳者補足:用語解説
全てのゲームに共通する用語カード・ゲーム特有の用語ボード・ゲーム特有の用語本文中に登場する古典ゲームの解説論理迷路の例題の正解訳者あとがき
奥付
試し読み
著者インタビュー(2005年)
私に対するこのインタビューは、オリオール・コマス・イ・コマによって2005年8月に行われたものである。彼はこれをフランス語に翻訳し、フランスの雑誌『Jeux sur un Plateau』2006年2号に寄稿した記事の中で使用した。
インタビュアー:オリオール・コマス・イ・コマ
―あなたは20世紀における最も偉大なゲーム発明家のひとりです。世界中のゲーム・コミュニティがこれに同意するでしょう。しかしながら、フランス人のゲーム愛好家は一般的にあなたやあなたのゲームについて何も知りません。彼らに対して自己紹介していただけますか?
さて、私自身は自分のことを最高のゲーム発明家のひとりだと思ってはいるものの、同意してくれる人がどれぐらいいるのかわかりません。私は多くの人々から「カルト的な存在」だと言われてきました。つまりこういうことです。私のことを知っているのはごくわずかな人だけであり、そして私はゲームの出版に関しては苦労続きだったのです。私の作ったゲーム(そう多くはありません)に興味があるのであれば、私のウェブサイト(www.logicmazes.com/games/)にリストを掲載しています。
ゲーム発明家アレックス・ランドルフは私のことを偉大な存在だと考えてくれていました。しかし彼は私に対し、私のゲームを人々に訴求する方法や、私のゲームを出版してもらう方法がさっぱり思いつかないと語っていたものです。アレックスは私のゲームのうちいくつかを改良し、より親しみやすい形に変換することを試みていました。これに関して彼が最も力を入れた結果がコード777だったのです。
―シド・サクソンによれば、ニューヨーク・ゲーム協会(NYGA)は非常に格式ばった名前の非常に格式ばらない集まりだったとのことです。サクソンやクロード・ソーシー、そしてあなたのようなすばらしいゲーム・デザイナーがNYGAのメンバーでした。このグループ、会合、そしてその変遷について教えていただけますか?
NYGAという名前を思いついたのはシドでした。あたかも重要な存在のように見せることがその目的だったのです。この名前がなければ、私たちは集まってゲームを遊ぶただの5人組にすぎなかったことでしょう。残りのメンバー2人、アーサーとウォルド・アンバーストーンは興味深い存在でした。彼らは誰もプレイできるとは思えないようなゲームをいくつも作ったのです。当然ながらその中で出版されたものはひとつもありませんでしたが、シドは自著『シド・サクソンのゲーム大全』用に彼らのゲームのうちひとつを改作しています。
私がこれまで参加した中で最高のゲーム・グループは「ニューヨーク・メンサ」のゲーム・グループでした。ここで私は数多くの自作ゲームをテストしました。後にはシド・サクソンもこのグループのメンバーとなり、そして自作のゲームをテストしていました。他のメンバーにはロビン・キングがいました。彼女はどんなゲームであっても誰にも負けない人物でした。彼女とその夫であるジョン・マカリオンは、現在は『ゲームズ』誌にレビューを寄稿しています。
ニューヨークからフロリダへと移った際、私はパーム・ビーチ・メンサでゲーム・グループを設立しようと試みました。私には運がなく、結果は残念なものでした。ゲーム発明家が持つことのできるもののうち最も重要なものは、自分のアイデアをテストするための良いプレイヤーなのです。
―あなたの『エリューシス』は全時代を通じて最も高名なゲームのひとつです。このゲームは批評家や学者、作家たちから称賛を浴びてきました。あなたの名前はゲームに関する名著の数々に登場しています。あなたのゲームは「ホイル」の最新版に登場しています。私の経験では、どんな集団にあなたのゲームを見せた場合も、その集団がゲーム愛好家であろうがそうでなかろうが、彼らはまず驚き、そしてその後さらに驚いたものです。しかしながら、あなたは間違いなく、経済的な意味では作家として成功したとは言えない存在です。自身の経験から、ゲーム業界をどのように見ていますか?
アメリカのゲーム会社は1970年代まではかなり創造的でした。特にミルトン・ブラッドレー社は、気のきいたアブストラクト・ゲームをいくつも出版していました。その後、ライセンス商品(テレビ番組や映画をもとにしたゲーム)が他のなによりもよく売れるということがわかってしまったのです。そう、これがゲームにおける創造性の終焉でした。近年、ドイツではシリアスなゲームが復活しており、これはアメリカでも反響を呼んでいます。私はこういったゲームをそう多くプレイしてはいませんが、私の知る範囲では、これらのゲームのほとんどは物語やテーマをもとにしているようです。私の意見では、テーマはライセンス商品に比べても、そう良いとは言えないと思います。
もちろんビデオゲームはボード・ゲームの売上を圧迫しており、そして今日のビデオゲームは非常によろしくない存在です。そのほとんどが、画面に登場するあらゆるものをただ撃つだけの「ファーストパーソン・シューター」なのです。この件に関してとりわけ悲しいのは、1970年代のビデオゲームはすばらしかったという点です。そこには気のきいたパズルや迷路がありました。こういったすばらしいゲームの衰退をもたらした原因は、単純に技術の進歩です。技術の進歩は、ときに創造性の低下をもたらすことがあり得るのです。技術の進歩によって、ゲームはより現実味を持つことが可能となり、上方や側面からの視点の代わりに、一人称視点を表示することが可能となりました。そして現実味を増した一人称視点によって我々にできることは、ただなにかを撃つことだけなのです。
―あなたは1960年代にゲームに関して最も創造的な時代を過ごしました。その後、あなたはゲームから離れて論理迷路(ロジック・メイズ)へと向かいました。そしていまでは迷路の権威となっています。この変化にはどのような理由があったのですか?
私はゲームで成功をつかむことはありませんでした。そしてその頃、迷路が私の頭に忍び込んできたのです。1962年10月、『サイエンティフィック・アメリカン』誌に迷路のような要素を持つ私のパズルが1題掲載されました。私はこれに似たパズルをさらに作り、そして気づいたのです。これらはただのパズルではなく、迷路でもあり、そして迷路には特別な魔法があるのだと。1990年にはこういった私のパズルの最初の集成である『マッド・メイズ(Mad Mazes)』が出版されました。そしてこの分野は、私にとっては大きな成功だったのです。アメリカでは毎年夏にトウモロコシ畑を利用した迷路がたくさん登場しますが、その多くに私の歩行用論理迷路(ロジック・メイズ)がひとつ以上採用されているのです。説明しておくと、これは小さな迷路であり、そのそれぞれに特別なルールがあるものです。たとえば「左に曲がってはいけない」といったルールです。
―あなたの最新ゲームである『コンフュージョン』は、あなたの言葉によればあなたの最高傑作です。あなたが創造した他のゲームと同様、『コンフュージョン』はそれ以外のゲームとは異なる存在です(このゲームを特別なものにしている特徴は、自分の駒の移動方法を知らない状態でゲームを開始するという点です)。何年か前にフランヨス社がこのゲームをドイツで出版しました。しかしこの版は絶版となっています。近い将来に再販されることはあるのでしょうか?
コンフュージョンは驚くべきゲームです。もしこれが再販されることがあれば、戦略ゲームの世界に激震が走るかもしれません。しかしこれが実現することはないでしょう。ちなみに、フランヨス社版はとても残念な作りだったことから、激震が走るということはありませんでした。
私は1980年代に出版社を探していました。当時アレックス・ランドルフは私に対し、2人用の戦略ゲームに興味を持つ出版社はいないと教えてくれました。そして彼は正しかったのです。最近になって、いまではより知的な新規のゲーム出版社がたくさんあるのだから、もういちど挑戦するべきだと連絡してくれた人が何人かいました。私はコンフュージョンの用具に見直しを加え、いくつかの出版社に連絡しましたが、ここでも運がなかったというわけです。
いまとなってはどうするべきかわかりません。自費出版に挑戦することはできますが、大仕事になってしまうでしょう。コンフュージョンは(画面を2つ使う形で)コンピュータ・ゲームとしても機能すると思いますが、これは私の技術的な知識を超えています。
訳者あとがき
本書は、アメリカ人ゲーム/パズル作家ロバート・アボットが1963年に発表した書籍『Abbott’s New Card Games』の翻訳である。
ロバート・アボットという人物をご存知の方はどれぐらいいるのだろう。マーティン・ガードナーや松田道弘の愛読者は、『エリューシス』の作者としてその名前に見覚えがあるかもしれない。また近年翻訳されたシド・サクソンの著作にその名前が登場したのを覚えておられる方もいるかもしれない。とはいえ、大多数のゲーム愛好家にとっては、認識したことのない存在というのが正直なところではないだろうか。アボット自身、自らのことを「カルト的な存在」と自嘲している。
アボットがそのような存在になってしまった理由のひとつに、ゲーム作家としての活動が「早すぎた」という点があるだろう。アボットがゲームの創作に集中していたのは主に50年代のこと。近代ボードゲームの祖と言われるシド・サクソンやアレックス・ランドルフが主要な活躍を開始する60年代中盤以降には、彼らと入れ替わるようにしてゲームの世界から離れていってしまっているのだ。本書は、アボットの代表作であるゲーム集『Abbott’s New Card Games』の翻訳であるが、彼の足跡を振り返るために、アボットによる他のゲーム作品に関する情報も付録として収録している。
ここであらためて、アボットの経歴を振り返ってみよう。
ロバート・アボットは1933年3月2日生、ミズーリ州セントルイス出身。ゲーム作りは14歳の頃から開始していたそうだ。イエール大学に2年、コロラド大学に2年在籍し、解析幾何学、論理学、ブール代数などを学んだものの、卒業はしていない。この頃に最初の妻バーバラと出会い、彼女をテスト相手にさまざまなゲームを開発している。本書に収録されたゲームの大半はこの頃の作品である。その後アボットはバーバラと離婚し、ニューヨークに転居している。1959年に数学者・著述家のマーティン・ガードナーに手紙を出したことがきっかけで、自作ゲーム『エリューシス』が雑誌で紹介され、このゲームは一躍脚光を浴びることになる。1962年には自作のトランプゲーム4作品を紹介する小冊子『Four New Card Games』を自費出版し、翌63年にこれを拡大する形で本書の底本『Abbott’s New Card Games』が正式に出版された。また、同63年にはボードゲーム『What’s that on my Head?』も出版されている。
この頃のアボットはゲームの開発に文字通り身を捧げていたようである。1963年当時のアボットの印象を旧友のシド・サクソンは後にこう語っている。
彼は当時タイピストとして生計を立てており、時間給で働き、そして必要最低限の時間だけをこれに充てていた。残りの時間は価値のある探究に捧げていた……主にゲームである。彼の服装もまた奇妙であった。冬の訪問では、彼はさまざまな服の重ね着に次ぐ重ね着をはぎとる羽目になったのだ。その中には2枚目のズボンも含まれており、しかしながらニット帽はその夜じゅうずっと彼の頭に残り続けていた。
マンハッタン、イースト・ビレッジにある彼のアパートメントは、ノスタルジックな魅力をたたえていた。バスタブはキッチンにあり、そして共同トイレが外の廊下にあった。
―雑誌『Games』1978年5・6月号より
そんなアボットも、その翌年にはコンピュータ・プログラマーとしての定職に就くことになる。彼自身の言葉によれば「貧乏でいることに飽きた」とのことだ。そして、プログラミングの世界に魅了されるとともに、ゲーム創作の世界からは徐々に離れていくようになる。『Abbott’s New Card Games』出版後にアボットが発表したゲーム作品は『クロッシング』(1969年、後に『エパミノンダス』[1975年]としてリメイク)、『コンフュージョン』(1992年、ただし80年には完成していたとのこと)のわずか2作品のみである。1974年に後の妻アンと出会い、83年に再婚。その後90年代にフロリダ州ジュピターに転居したものの、そこでゲーム仲間を見つけることができなかったこともあり、ゲームの世界からはますます離れていくことになる。
なお、アボットにはパズル作家というもうひとつの顔もある。早くも60年代にはアボットによるパズル2作品が、やはりマーティン・ガードナーによって雑誌に紹介されている。80年代になると「ルールのある迷路」というコンセプトのもと、パズルと迷路の融合である「論理迷路(ロジック・メイズ)」の制作を本格的に開始し、この分野により情熱を注ぐようになった。こちらの分野では『Mad Mazes』(1990年)と『Super Mazes』(1997年)という2冊の著作を残している。
90年代以降は自身のウェブサイト『Logic Mazes』の構築にも注力しており、自作の迷路やゲームに関する文章をここで大量に発表している。2010年代に入り、新世代のボードゲーム企業から『エパミノンダス』や『コンフュージョン』といった過去の作品が再出版され、あらためて高い評価を得たものの、残念なことに自身は2018年2月20日に亡くなっている。
アボットによるゲームは、いずれの作品にも明確なコンセプトが盛り込まれている点に最大の特徴がある。ゲームとしての単純な面白さだけではなく、独創性や実験精神を第一に追及していたことがうかがえる内容となっているのだ。だがそのこだわりの結果、作品数は少なくなり、そしてその作品は一般層にまで届かないという状況に陥ってしまったように思える。アボットはゲームに関しては残念なことに商業的に成功したとは言い難い。しかしながらその活動や作品は、後のゲーム・デザイナーに対し、直接的または間接的に、少なからぬ影響を与えているものと思われる。たとえばアレックス・ランドルフがアボットを高く評価し、自らその作品を改作していたことは本書の中でも言及されているし、シド・サクソンやデヴィッド・パーレットが後に発表したゲーム集(サクソン著『A Gamut of Games』[1969年]、パーレット著『Original Card Games』[1977年])などが、アボットの著作に影響を受けて制作されたのであろうことは想像に難くない。また個々の作品中にも、後のゲームに流用されるさまざまなアイデアの原型を見出すことができるだろう。
音楽の世界には「ミュージシャンズ・ミュージシャン」という表現がある。一般層からの人気は必ずしも高いとは限らないものの、専門家から高く評価される音楽家を指す言葉である。訳者はアボットに対し、それと同じような印象を感じている。本書の出版によって、作家としては不遇だったアボットの功績がより認知されるようになれば、とても嬉しく思う。