ユーロゲーム

スチュワート・ウッズ著『ユーロゲーム ― 現代欧州ボードゲームのデザイン・文化・プレイ』

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冊子版(A5版ソフトカバー 約350頁) 2021年9月下旬発売予定 税込3300円(ISBN978-4-908124-57-0)

※発売日は変更される可能性があります

「ユーロゲームとユーロゲーム・ホビイストに関する、この価値ある研究は、著者とゲームスタディーズの両方にとって重要な達成を示すものだ。」 ― ミア・コンサルヴォ

「ゲームをプレイする動機はすべて勝敗に関するものだという、誤った観念に対する決定的なカウンター。」 ― ルイス・パルシファー

* * *

このデジタル時代にボードゲームはほとんど太古のものに見える一方、ドイツ様式〈スタイル〉ボードゲームとしても知られるユーロゲームは、ビデオゲームの興隆と時をほぼ同じくして人気の上昇を見た。ユーロゲームは単純なルールと短いプレイ時間の中で、運や闘争よりも戦略に重点を置いている。

本書ではユーロゲームの形式、それを取り巻くホビイスト文化、そしてそのようなゲームのプレイをホビイストが体験するありかたについて考察する。卓上ホビーゲーミングの進化の歴史を振り返った後、なぜホビイストはユーロゲームをプレイするのか、いかにしてプレイヤーは競争的遊びと親密な社交的集まりという要求との間でバランスを取っているのか、ゲームの出会いの社交的文脈がどれほどプレイ体験を形作るものなのか、探究する。この革新的な仕事は、歴史とカルチュラルスタディーズとレジャー研究とルドロジーと遊び理論を結びつけ、このゲーミングコミュニティにおける新しいトレンドに光を当てている。


目次

はしがき

序章

ゲーム研究 ユーロゲーム ― デザイン、文化、プレイ ゲームを理解する プレイヤーを理解する プレイを理解する 全てを結びつける ― 日常の参与観察

第一章 ホビーゲームの概要

アブストラクトを超えて ― ボードゲームと卓上ゲームの分類 古典ゲーム 一般市場ゲーム ホビーゲーム ホビーゲームのジャンル ウォーゲーム ロールプレイングゲーム コレクタブルカードゲーム プレイのコミュニティ

第二章 アングロ=アメリカン・ホビー・ボードゲーム 1960-1995

現代ユーロゲームの起源 ― 3M Games ボードゲームデザイン 1970-1980 ボードゲームデザイン 1980-1995 袋小路の暗がりに差す光

第三章 社交ゲーム ― ドイツにおけるゲーミング

世界の首都 ゲームとドイツのメディア ゲーム賞 ゲームデザイン文化の養成 ゲームショー 戦後のウォーゲームへの態度の影響 遊びの文化 ホビーゲーマーのためのファミリーゲーム

第四章 ドイツゲームからユーロゲームへ

初期ドイツゲーム(1980-1994) カタンの開拓者たち ドイツゲームの興隆 ドイツゲームからユーロゲームへ

第五章 ユーロゲーム・ジャンル

応用ゲーム学におけるゲーム要素 ユーロゲームのシステム的要素 ユーロゲームの複合的要素 ユーロゲームのルールセット ユーロゲームのメカニクス ユーロゲームにおける一般的なメカニクス タイルプレースメント オークション トレード/交渉 セットコレクション エリアコントロール 役割選択/ワーカープレースメント メカニクスを織り上げる ユーロゲームにおける目標 マルチプレイヤー・ソリティア ― プレイヤーと目標 ユーロゲームのテーマ ユーロゲームにおける情報 偶然が果たす役割 プレイヤーの関与の維持 抑制されたプレイ時間 ジャンルの主観性

第六章 ホビーゲーマー

Boardgamegeek Boardgamegeekの人口統計 年齢、性別、交際状況 教育 国籍 職業/収入 プレイ習慣 ― 頻度とスタイル プレイ習慣 ― 環境 概要 ― 歳を重ねた男性ゲーマー 「教育されすぎた人の趣味」 ゲーマー・ギーク 取得、蓄積、収集 共有された文化 ― デザイナー/出版社/プレイヤー ゲーミングの伝道者 ゲーミング・ホビイスト

第七章 プレイの快

プレイ、ゲーム、動機 プレイヤーの悦び ― メカニクス プレイヤーの悦び ― ゲームの特色/要素 リプレイアビリティ 知的挑戦 ― 戦略と戦術 ゲーム内インタラクションの重要性 ユーロゲームにおけるインタラクション 内容物とグラフィクス テーマとメカニクス 運とカオス 要約 ― プレイヤーが得るゲーム特性/メカニクスの悦び プレイヤーの悦び ― プレイの全般的な体験 プレイであってゲームではない

第八章 目標と結果

目標、結果、そして予測可能なプレイヤー 目標の促進的性質 社交的文脈と目標の追求 社交的遊びにおけるセルフ・ハンディキャッピング 相克の合理化 「良い」結果と悦びとの間の薄い関係 目標としての悦び 社交的プレイヤー

第九章 切り離された行為?

チート 切り離された行為 メタゲームのプレイング 口出しと欺き キングメーキング プレイしないわけにはいかない ゲームの社交的構成

結び

参考文献

付録:ユーロゲームの複合的要素

索引

クレジット

EUROGAMES ― The Design, Culture and Play of Modern European Board Games

Author: Stewart Woods

Copyright © 2012 Stewart Woods. All rights reserved.

Published by special arrangement with McFarland & Company, Inc., Publishers, Jefferson, North Carolina, USA.


原著:McFarland Press刊(2012年)

翻訳:沢田大樹、山本拓

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“ボードゲームの調査研究は、多くの人にとって「死んだ学問」と見なされているのかも知れない。十分に発達した双方向型デジタルメディアが、「ビデオゲーム」が非常に有望な市場であることを見出した現在においては特にそうだろう。ボードゲームを対象とした大規模な研究が実施されたことはない。研究者がときおり現れては消えていき、その成果を体系的に追いかける者はまれだった。”(Ortega-Grimaldo 2008:34)

 多くの人びとにとって、ボードゲームは時代錯誤〈アナクロニズム〉である。テーブルの周りに集まってボード上のコマを動かすというのは、コミュニティ意識が浸透し、家族が一緒に遊び、ポーチのドアは常に開いているような、過ぎ去った時代を思い起こさせる。こうした人たちも、子どもたちと、また家族の集まりでボードゲームをプレイすることもあるが、ほとんどのときは、技術進歩によって必然的に生じる無駄の犠牲者とされ、タイプライターやダイヤル式電話と同じ収納にしまい込まれている。しかしながら一部の人びとにとっては、ボードゲームは無駄からはほど遠い。この人たちにとってのボードゲームは趣味〈ホビー〉であり、情熱であり、執着でさえある。そのような人びと、そのプレイするゲーム、そのプレイ経験が、この本の主題である。具体的には、一般的にユーロゲームと呼ばれる形式〈フォーム〉のボードゲームをプレイする、ホビイストゲーマーたちの研究である。

 本書の目的のため、私はボードゲームという言葉を、卓上でプレイする全てのゲームを指すものとして使っている。しかし本書に登場する多くのゲームはボードを使用しない。実際、相当数はカードゲームである。それでもなお、「ボードゲームおよびテーブルゲーム」と繰り返し言及することの不自然さを回避するため、ボードゲームという言葉を用いた。本文中に記載がない場合、そのゲームについての情報は巻末のリファレンスリストにある。「ホビーゲーム」という言葉については、詳細は本書の第二章で詳しく説明している。大まかに言って、過去40年の間に出現し、特定の観衆〈オーディエンス〉の心を掴んだ、いくつかのゲーム形式を指している。例としてウォーゲーム、ロールプレイングゲーム、コレクタブルカードゲーム、そして本書の主題であるユーロゲームがある。

 本書はユーロゲームの形式、それを取り巻くホビイスト文化、そしてホビイストたちがユーロゲームのプレイをどのように体験しているのかを分析する。これまで述べてきた個人的な参与を除けば、私がこのジャンルに興味を持ったのは、ふたつの関連した見解からきている。一つめは、ユーロゲームはゲームのホビイストたちが一斉に参入した最新のゲーム形式であること。二つめは、恐らくこちらの方がより興味深いことだが、ユーロゲームの出現と人気の獲得は、デジタルゲームの興隆とほぼ同時期であること。これに何らかの因果関係があると言いたいわけではないが、(先進国で)デジタル遊び〈プレイ〉の豊穣な世界がゲームの支配的形式になったそのとき、ユーロゲームのなにがプレイヤーの興味をひいたのかと、考えずにはいられない。これが本書の中核をなす最初の問題である。なぜホビイストたちはユーロゲームをプレイするのか?

 本書の第二の問題は、概して私自身のゲームの遊びかたに起因する。この研究に取り組むなかで、社交〈ソーシャル〉ゲームのプレイに明白に見られる矛盾に、私は次第に惹かれていった。表面上は、競争的プレイを特徴づける要素は勝利の価値化である。それ故に、プレイヤーは勝つためにプレイする。だが、様々な場面での私のプレイ経験からは、プレイヤーたちは勝利で得られるどんなステータスよりも、ゲームの社交的な結果をはるかに重視しているように思われた。そこでは明らかにふたつの力が働いていた。勝ちたいという欲望と、人と一緒に楽しみたいという欲望である。ここから引き出される疑問はこうだ。競争的プレイの構造と親睦的欲求との間で、プレイヤーはどのようにバランスをとっているのだろうか?

 ユーロゲームとは定義上、社交的体験であるという見解は、最後の研究論題につながる。1938年、Johan Huizingaが遊び〈プレイ〉を「切り離された行為」(Huizinga 1950:10)、「マジックサークル」によって「日常生活」から分離された領域(ibid.:13)と説明したのは有名である。Roger Cailloisもゲームを「分離した」ものと記述している(Caillois 1958:10)し、ゲームは「閉じられた形式システム」であるとしたChris Crawfordもそうだ(Crawford 1982:7)。だがJesper Juulが言うように、ゲーム世界と現実との境界は完全なものではなく、むしろ「常に交渉下にある曖昧な領域」(Juul 2005:36)なのだ。私のゲーム経験から言って、プレイされる状況により、同じゲームが全く違う経験を生み出すことがあり得る。プレイヤーたちとその相互行為〈インタラクション〉が社交〈ソーシャル〉プレイ経験に重大な影響を与え得ることは、ボードゲームのシステムが閉じたものではないことを示唆している。私が本書で追求する最後の問題がこれだ。ゲームとの出会いにおける社交的背景は、ゲームプレイの経験をどの程度形成するのだろうか?

 ここに挙げた問題から、本書の扱う範囲が広汎であると同時に特異である理由がおわかり頂けるかと思われる。特異であるというのは、特殊な種類のゲームと、非常に特殊なプレイヤーたちに着目しているということだ。私の問題に対して、どのような形式のゲームやプレイヤーにも広く適用できるような解答を与えるには、何冊もの本と、何年もの民族誌的・学際的研究が必要とされるだろう。ホビイストとユーロゲームに対象を明確に絞ることで、限られた範囲ではあるけれども、少なくとも解答へとたどり着くことは可能だ。

 それと同時に、本書が扱う範疇は広汎だ。このような遊び活動〈プレイ・アクティビティ〉の特定部分を考察するには、学際的な研究が必要となる。例えばユーロゲーム形式について、その歴史と他のボードゲーム形式との関係を考慮に入れずに、有意義なことは言えない。同じように、サブカルチャーの特質と、ホビイスト文化の功績を考慮に入れずに、ホビイストについて語ることはできない。従って、本書の主眼は遊びについてではあるが、特定のゲーム形式、プレイヤーのアイデンティティ、ホビーゲーム文化を考慮に入れなければ、可能なのは大ざっぱな一般化だけになってしまうだろう。これらの要素の十分な探求には、多岐にわたる学問分野と手法を必要とした。本書では、歴史学、文化研究およびサブカルチャー研究、余暇〈レジャー〉研究、ルドロジー、遊び理論〈プレイ・セオリー〉から、ある程度採用している。こうした学際的方法を採ることで、この研究の中心問題への適切な解答が可能になったのではないかと考える。


ゲーム研究

 ここ40年ほどの間に、ポピュラーカルチャー内でのゲームの位置づけは大きな変化を遂げた。ビデオゲームの台頭は急速かつ継続的で、商業的にも、そして議論の余地はあるにせよ芸術的にも、映画に匹敵するまでのメディアとなっている。ビデオゲームが多くの一般の人びとに人気を博すにつれ、学者たちの注目も集めるようになった。学者たちはゲームを批評的に鑑賞し、ビデオゲームの美的要素、物語表現〈ナラティブ〉要素、システム的要素を分析し、デジタル遊び〈プレイ〉の進化を記録し、この新たなメディアの興隆を象徴するかのような熱意をもってビデオゲーム形式の特性を検討してきた。この関心から生まれた学問分野は、ルドロジーと呼ばれている。

 Gonzalo Frascaが最初に現代ルドロジーを構想したとき、それは単に「ゲームと遊び活動を研究する学問分野」(Frasca 1999)とされていたのだが、これまでのところ、主としてビデオゲームに重点が置かれてきた。とは言え、デジタルと非デジタルゲームの共通点を認め、より包括的な研究を行う学者の数も少なくはない。例えばMarkku Eskelinenはビデオゲームを「再メディア化〈remediated〉したゲーム……雑多でメディア横断的なゲーム生態系のなかの、いくつかの種のうちの1つ」(Eskelinen 2005:93)であると主張した。ゲーム研究を独立した学問分野とすることを初期から主唱していたJesper Juulは、「古典的ゲームモデル」は「少なくとも5000年のゲームの歴史」の把握を試みていると記述した(Juul 2005:23)。Aki Järvinenは著書『境界のないゲーム』(Järvinen 2009)において、デジタルであろうがなかろうが、全てのゲーム形式に適用可能な広範囲のゲーム分析手法を採っている。Katie SalenとEric Zimmermanによる教科書『ルールズ・オブ・プレイ』(Salen and Zimmerman 2004)も同様に、あらゆるゲームの種類を包含している。以上が、ゲーム形式全体を相手取ったゲーム分析を行っているライター・学者の例である〔※この翻訳では、writerの訳語として一律に「ライター」を用いる〕。

 残念なことに、こうした包括性の宣言にもかかわらず、新しいルドロジー内でボードゲームが占める位置は、進化形態の未熟で原始的な祖先という、一般文化内での位置と変わらないように見える。Eskelinen(2005:10)、デザイナーGreg Costikyan(1998; 2011)、学者のJanet Murray(2003)に代表される、ゲーム形式の共通性を認識した多くの論者が、非デジタルゲームの研究価値を主張してきたことは事実だ。しかしながら、学者がこうした分析に手を出すときは、ビデオゲームとの関連性やビデオゲームにつながるデザイン特性を確立するために、ボードゲームについて議論するというのが通常なのである。従って、近年のゲーム研究が加速している一方、ボードゲームという特定の分野への学術的関心は、比較的希薄なままである。

 座って行うゲームを初めて本格的に研究したのは民族学者のStewart Culinで、彼は全く異なる文化から多種多様なゲームを収集し比較する多くの研究プロジェクトに従事した(Culin 1891; 1894; 1899; 1900; 1907)。卓上ゲームに限れば、多様な例に取り組んだ最初の本はH. J. R. Murrayの『チェス以外のボードゲームの歴史』(Murray 1952)だ。Murrayは多くの抽象的〈アブストラクト〉位置〈ポジショナル〉ゲームを分析し、分類のための図式を提示した。同様の手法を採用したR. C. Bellの『様々な文明のボード/テーブルゲーム』(Bell 1979)も、やはり位置ゲームに限定されている。MurrayとBell両者の分類法を踏襲したDavid Parlettの『オックスフォード版 ボードゲームの歴史』(Parlett 1999)もまた、アブストラクト位置ゲームに重点が置かれている。Fernand Gobet、Alex de Voogt、Jean Retschitzkiの『ムーブズ・イン・マインド:ボードゲームの心理学』(Gobet, de Voogt and Retschitzki 2004)は、この分野におけるより近年のものではあるが、焦点は伝統的なアブストラクトゲームのプレイにおける認知的・心理的側面である。こうした伝統ゲームの重視はInternational Society for Board Game Studiesの活動内容にも見られる。1990年代初頭に設立されたこの学会は毎年総会を開催しているが、そこでは現代の商業ゲームについての報告は稀であり、ほとんどが伝統ゲームに限られている。

 一般市場〈マス・マーケット〉向けボードゲームに目を向けると、Bruce Whitehillがアメリカにおけるゲーム進化の記録に多大な貢献をしてきた(Whitehill 1992; 2004)。他の多くは、いくらかの懐古的調子をもって、特定の専売〈プロプライエタリ〉ゲームや製造会社だけに着目するのが常だった。David Pritchard編著の『Games & Puzzles 現代ボードゲームの本』(Pritchard 1975)は注目すべき例外で、『モノポリー』(Darrow and Magie 1935)や『クルード』(Pratt 1948)のような主流〈メインストリーム〉のタイトルから、知名度の下がる『ディプロマシー』(Calhamer 1959)や『コンフロンテーション』〔Confrontation〕(1974)まで、まさに同時代のプロプライエタリ・ゲームの数々を扱っている。

 ホビーゲームがゲーム研究者の興味をひくのはごくたまのことで、出版物も学界発よりはこの趣味〈ホビー〉の内部から多くが生まれている。ウォーゲームが良い例で、熱心なファンの視点からこのゲーム形式を考察した本が多数ある。特筆すべきものとして、Nicholas Palmerによる初期の『ボード・ウォーゲーミング総合ガイド』(Palmer 1977)および『ベスト・オブ・ウォーゲーミング』(Palmer 1980)、Jon Freemanの『ウォーゲーム全書』(Freeman 1980)、Jim Dunniganの『ウォーゲームハンドブック』(Dunnigan 1980a)がある。より近年の批評的分析としては、Matthew Kirshenbaum(2009)およびPatrick Crogan(2003)のものがある。

 対照的に、ロールプレイングゲームは誕生時から研究者の関心を集めてきた。なかでも疑いなく最も著名なものは、この趣味〈ホビー〉の初期にGary Fineが行ったサブカルチャー的分析、『シェアード・ファンタジー:社交メディアとしてのロールプレイングゲーム』(Fine 1983)である。Daniel Mackayの『ファンタジー・ロールプレイングゲーム:新しいパフォーマンスアート』(Mackay 2001)は、このジャンルのパフォーマティブな側面について、より新しい知見を提供している。またJeniffer Cover(2010)とSarah Bowman(2010)の近年の仕事は、それぞれ物語の創造やアイデンティティの構築といった多岐にわたる論点を扱っている。Pat HarriganとNoah Wardrup-Fruinによる一連の論集(Harrigan and Wardrup-Fruin 2004; 2007; 2009)でも、多くの論文がロールプレイングゲームの物語的側面を研究している。スカンジナビアではとりわけ活発なロールプレイングゲームに関する学術コミュニティが発達しており、最大規模のロールプレイングコンベンションを4カ国持ち回りで開催し、毎年書籍を出版している。全体的に見ると、他のホビーゲームと比較して、ロールプレイングゲームの研究は活況を保ってきたと言える。

 ビデオゲームとホビーゲームの間隙を埋める重要な文献に、論集『文化としてのゲーミング:ファンタジーゲームのリアリティ・アイデンティティ・体験〈エクスペリエンス〉』(Williams et al. 2006)がある。ファンタジーゲーム全般を主題としたこの本には、コレクタブルカードゲームのプレイと文化に関する多くの啓発的論考が収められている。コレクタブルカードゲームについての他の研究として、ゲーマーのアイデンティティを扱ったMark Bordenetの修士論文(Bordenet 2005)、『マジック:ザ・ギャザリング』(Garfield 1993)のプレイがもたらす有益な社会的影響に関するJohn LenarcicとJames Mackay-Scollayの議論(Lenarcic and Mackay-Scollay 2005)がある。

 ユーロゲームそのものを主題とした批評的文献はとりわけ希少だ。Greg CostikyanやDrew Davidsonらによる論集『テーブルトップ:アナログゲームデザイン』(Costikyan and Davidson et al. 2011)には様々な評論が収録されており、いくつかはこの分野から例を採っている。Sybille Aminzadahはドイツのプレイヤーへのインタビューを通して、『カタンの開拓者たち』(Teuber 1995)が大ヒットした原因を探っている(Aminzadah 2004)。一方Britta StöckmannとJens Jahnkeはドイツのゲーム文化一般について、また文学とドイツボードゲームの交わりについて論じている(Stöckmann and Jahnke 2008a; 2008b)。最後に挙げる2009年のBoard Game ColloquiumでのYehuda Berlingerの発表は、ユーロゲームの特徴のいくつかを明確に提示した(Berliner 2009b)。

 この簡単な概観から明らかなように、現代ボードゲーム、ましてユーロゲームを対象とした本格的な批評は今にいたるまで存在しない。Francisco Ortega-Grimaldの言葉を借りれば、ボードゲーム研究は「死んだ学問」のままである(Ortega-Grimald 2008:34)。ゲーム全般への興味の復活にもかかわらず、ボードゲームとそれが育むプレイ経験については、驚くほどに薄い関心しか払われていない。本書の目的のひとつはこの間隙を埋めること、および大人がゲームをプレイすることへの理解の広まりに貢献することである。


ユーロゲーム ― デザイン、文化、プレイ

 本書は三つの部分からなり、それぞれが全体の結論を構成する個別の要素を探求している。それはゲーム形式、ホビイスト・プレイヤー、そして前二者の結合から生じるプレイ経験である。


ゲームを理解する

 本書の最初の部分は、特にユーロゲームに重点を置きつつ、卓上ホビーゲームの進化を扱っている。ユーロゲームと、ホビーゲームの中心的ジャンルというその位置づけについて論じるため、ここでは英米のホビーゲームの歴史と進化、ユーロゲームの本質、ユーロゲームが出現した地理文化的場所、ホビイストたちのユーロゲーム受容について考察する。調査を補完するため、多くのデザイナー、出版社、ホビーゲーム文化内で「有名人」と呼ばれるであろう人々にインタビューを行った。ここでの関心事は、ゲームとしてのユーロゲームのより深い理解と、ホビーゲームという広汎なスペクトル内でのユーロゲームの位置づけである。当然に、ゲームという参加型形式についていかなる研究を行うにしても自らのプレイ経験は必須であり(Aarseth 2003; Lammes 2007)、研究中に私が公的・私的な場所でプレイしたボードゲーム、卓上ゲームは300近くに及ぶ。大部分はユーロゲームの枠内に収まるが、ホビーゲームの進化に直接的間接的に寄与した多くのゲームについてもプレイするように努めた。こうしたゲームのプレイ経験は、そのデザインへの影響の検討や、文化活動としての卓上ゲームの歴史的考察とともに、ユーロゲームの本質の状況的理解の助けとなった。


プレイヤーを理解する

 本書の二番目の部分はボードゲームホビイストと、この趣味〈ホビー〉を育て維持するゲーム文化についての論考からなる。この趣味〈ホビー〉コミュニティの特質を把握するため、プレイヤーが生み出したテクストを趣味〈ホビー〉のメタ的側面として分析した。主要な情報源はオンラインフォーラムBoardgamegeekでの議論や、ホビーゲーム全般、特にユーロゲームを扱った多くの出版物だ。例としてはアマチュアの同人誌〈ファンジン〉(Sumo、Counter)、商業雑誌(Knucklebones〔※アメリカJones Publishing社発行の隔月誌。2005年11月号~2008年3月号の全15号で終刊〕、Games International)、インターネットのメーリングリストやディスカッショングループ(rec.games.board、Spielfrieks)、個人のウェブサイトやブログ、たまに出るこの話題に触れた学術論文等がある。これに加え、多数のプレイヤーやコミュニティの有名人にインタビューを行った。

 2007年11月にはBoardgamegeekのウェブサイトを通したネット調査を実施した。個々の質問への回答率にばらつきはあるが、平均しておよそ650件の回答が得られた。調査の最初の部分は全て定量的質問で、人口統計データとプレイ習慣の基本情報(頻度、場所など)の抽出に使われる。この定量的データと、趣味内部での議論や説明の分析を組み合わせることで、明確なプレイヤー像と、ホビーゲーム文化に関するプレイヤーの理解、文化内部でのプレイヤーの活動について明らかにすることができた。


プレイを理解する

 本書の最終部となる第三部では、ゲームをプレイするという経験について考察する。先に述べたように、いくつかの疑問がこの探求を動機付けている。

  • プレイヤーはユーロゲームのプレイからどのように悦び〈エンジョイメント〉を引き出しているのか。

  • プレイヤーは競争的プレイの構造と親密な社交の要求との間で、どのようにバランスをとっているのか。

  • ゲームの出会いの社交的背景は、ゲームプレイ経験をどの程度形作るのか。

 この疑問への答えを追求するため、調査の二番目の部分には、特に上記の問題に重点を置いた、プレイ経験についての様々な自由形式の質問を載せた。本書ではこの質問への回答をRつきの数字で示している(例えば「R567」のように)。この調査方法によって、観察では集められなかった結果が得られた。全体的な調査の一環として、これらの回答から多くの結論が導かれ、非公式な参与観察によって裏付けられた。


全てを結びつける ― 日常の参与観察

“研究対象が創発的で、理解が不完全で、それゆえ予測不可能であるゲームスタディーズのような分野において、参与観察は特に有用である。”(Boellstoff 2006:32)

 本書の疑問、調査、分析は、私自身のゲーミング趣味〈ホビー〉への参加と、ゲームをプレイしてきた個人史からきたものだ。もちろん、社会科学の広汎な領域では、調査対象となるサブカルチャーの「内部」の研究者による民族学的調査の長い歴史がある*11。一部の参加型文化については、活動の美意識と意味を正確に理解するために、積極的な参加が推奨されてきた。研究戦略としての参与観察の起源はBronislaw MalinowskiやFranz Boasといった人類学者の研究であり、対象文化がどう状況を認識しているかを把握するため、日常的かつ長期的な接触を行わねばならないとする考えを彼らは導入した(Nader 1996)。本書の場合、参与観察は私的、地域的、世界的という三つのレベルで使われている。

 この13年間、私は毎週ゲーム会に参加してきた。ここ十年は主に自宅で行った。プレイしたゲームは多岐にわたり、一般市場〈マス・マーケット〉向けもホビイストゲームもある。本書の調査に着手してからはホビーゲーム、特にユーロゲームの数が圧倒的に増えた。地域社会のレベルでは、西オーストラリアの地域社会におけるホビー・ボードゲーム普及のための非営利組織、West Australian Boardgaming Association(WABA)の会長を2007年から務めている〔※2012年まで〕。ここには約100人の会員がおり、定例会には50人以上のプレイヤーが集まる。ホビーゲーマー向けの毎月の例会に加え、地元の図書館や学校への奉仕活動を通じ、地域社会でのゲーム普及促進にも取り組んでいる。つい最近には、ボードゲームの社会的利益の振興を目的とした全国団体であるBoardgames Australiaの委員に就任した〔※2016年まで〕。この団体はまた全国的な賞を創設し、良質なゲームを表彰している。最後に世界レベルでは、私は2005年以来、boardgamegeekオンラインコミュニティの活発なメンバーである。〔※そのほか、DiGRA Australiaの創設(2012年)に携わり、2015年までボードメンバーを務めている〕

 この3つの手段によって、他の方法よりも遥かに深い、研究対象についての洞察が得られた。だが、この参与観察は完全に非公式なものであることは強調しておきたい。そのため本書では参与観察について明確な言及はほぼないが、本書でなされる主張や観察の多くが、他人とゲームをプレイした経験やホビーゲームコミュニティの一員であることを基礎としている。特にゲームプレイの社交的文脈とプレイヤーによるその扱い方についての後半の議論では、個人的観察が全ての行間に息づいていると言える。調査で得られた匿名の質的データを使うとき、データ解釈の全局面で、こうした個人的経験が役に立つ。後述するように、ゲーミング趣味〈ホビー〉を理解するには、単にゲームをプレイするだけでは全く足りない。この独特なサブカルチャーへの熱中こそが、ホビイストのゲームへの取り組みと、ゲームのプレイから得られる喜びを理解する唯一の方法なのだ。これが本書の最も重要な目的である。

テキスト試し読み(第一章~第九章各章冒頭)

※下記は校正中のバージョンであり、最終版とは異なる場合があります。

第一章 ホビーゲームの概要

“ゲームは魅力的な歴史的工芸品だと思われるかも知れないが、社会的価値や慣習の反映でもある。”(Brown 2004)

 ユーロゲームは「ホビーゲーム」と称されるもののうち、最も新しいものである。この言葉の意味は一見自明だが、過去半世紀にわたって特定の層を引きつけることで、他と差別化されてきた様々なゲームを指すようになっている。余暇〈レジャー〉理論家のRobert Stebbinsは競争的ゲームのプレイを「シリアス・レジャー」の四形態のひとつとして大まかに位置づけており、そこには多くのスポーツとともに『ブリッジ』『シャフルボード』、コンピュータゲーム等の座って行うゲームが含まれている(Stebbins 1992:13-14)。しかし、このような娯楽への没頭を趣味〈ホビー〉と言うことはあっても、こうしたゲームが趣味のゲーム〈ホビーゲーム〉と呼ばれることはまずもってない。本書の主眼がホビー・ボードゲームという特殊な形態にある以上、議論の対象となるゲームを明確に説明する必要がある。さらに、ホビー・ボードゲームという呼称はこの趣味〈ホビー〉の中から生じたものであるから、過去50年間に出現したホビーゲームの様々な形態について説明することが、その意味するところを明らかにする上で最も効果的である。

 この目的のため、まずは伝統的ボードゲームの過去の主要な分類法について議論し、その図式を現代ボードゲームデザインへ適用するには限界があることを示す。そこで代替案として、現代ボードゲーム市場を伝統ゲーム、一般市場〈マス・マーケット〉ゲーム、ホビーゲームの3つに区分することを提案する。ホビーゲームはさらにウォーゲーム、ロールプレイングゲーム、コレクタブルカードゲーム、ユーロゲームという4つの主要ジャンルに分けられる。本章ではこのうち最初の3ジャンルについて扱うが、そこでは過去50年間に出現したホビーゲームの性質と多様性について記述するだけでなく、なぜこうしたゲーム形態にホビーゲームという言葉があてられるようになったのか、そして事実上、趣味のコミュニティおよび産業によって、これらのゲームがひとまとまりのものして扱われているのはなぜなのかについて、明確な答えを与えたい。


第二章 アングロ=アメリカン・ホビー・ボードゲーム 1960-1995

 20世紀後半を通じてホビーゲーミングを定義づけたゲームは、典型的には、プレイの中でインタラクションの源として直接対立〈ダイレクト・コンフリクト〉に焦点を絞っていた。ウォーゲームは明示的に歴史上または想像上の闘争〈コンフリクト〉をモデル化していた一方、ロールプレイングゲームはプレイヤー対環境という概念を導入した。後にロールプレイングの表現はこのプレイヤーとゲームの敵対的関係から離れることになるものの、かなりの期間、このモデルはこのジャンルで支配的だった。コレクタブルカードゲームは、ウォーゲームや初期ロールプレイングを特徴付けていた本当らしさの重視を概ね捨ててはいるものの、典型的には同様の直接対立のモデルの中でひとりのプレイヤーを別のプレイヤーと闘わせるものだ。これら三つのジャンルは大人向けゲームの市場を、そしてより重要なものとして、活発なゲーマーのコミュニティを確立し育むのに決定的な役割を果たしたものだが、そのいずれも現代ユーロゲームの直接の前身とは見なされない。

 これらの特定のゲーム形式の成長と同時に、より広いボードゲームデザインの分野も、後にユーロゲームの形式に反映されるような形で、進化し続けた。1960年から1995年の間、アメリカやイギリスでは、大人のホビイストの市場を狙って、広い多様性を持った戦略ボードゲームが出版されてきた。そのいずれも、前章で述べたホビーゲーミングのどのジャンルにもうまく適合しないものだが、それらは同じ小売チャネルを通じて供給され、同様の観衆によってプレイされた。デザイナーが一般〈マス〉市場の制限の外でゲームを開発するにつれ、革新的なタイトルが徐々にボードゲームデザインの境界を押し広げ、そしてそうする中で、続くヨーロッパ様式〈スタイル〉のデザインの基礎のうちいくらかを築いた。あるケースでは、これらのゲームがユーロゲームへ与えた影響は極めて明白であり、別のケースでは微妙なものでしかないかもしれない。全体としては、この時期に出版された相当な数のゲームが、位置に関するメカニクスに重点を置かず、対人スキルや推論を頼みにする傾向を示していた。より重要なことは、この章で議論するタイトルが、メカニクスとテーマの両面で直接対立から徐々に離れていく兆しをみせたことだ。これは後に現代ユーロゲームを定義付ける特徴になる。


第三章 社交ゲーム〈ゲゼルシャフツシュピーレ〉 ― ドイツにおけるゲーミング

“小説と同様、ゲームは青天の霹靂のごとく不意にやってくるものではない。あるデザイナーにより、ある時、ある社会的状況の中でもたさされるものだ。”― Bruno Faidutti, in Appelcline(2006a)

 20世紀後半を通じて、アングロ=アメリカンのボードゲームデザインは、主として拡大するホビーゲーム市場の影響の下、発展していった。同時に、この時期の西ドイツでは、後にユーロゲームのジャンルを支えることになる、ゲームデザインの特徴的なアプローチが現れようとしていた。1995年の『カタンの開拓者たち』以前に広域のホビーゲーム市場がこのデザイン様式〈スタイル〉のインパクトに触れることは無かったものの、このアプローチの種子はドイツで1970年代後半に出版されたゲームに既に見られる。このデザイン様式の地理的な限定性と、1995年以前にこれらのゲームが形成した国内の熱狂的反響が示すのは、ドイツのゲームデザイナーとプレイヤーに与えた影響は、他のどこでも見られないものだった、ということだ。

 特定の歴史的文化的状況と特定の人工物〈アーティファクト〉との間に因果関係を割り振るのはどれほど入念な研究をもってしても明らかに不可能ではあるものの、Bruno Faiduttiが上記の通り認めているように、ゲームは文化的空白の中から生まれるものではない。実際、そのような影響がドイツにおけるユーロゲームの出現に役割を果たしていることについて疑いの余地は少ない。高品質な玩具とゲームを生産するドイツの長く続く伝統は、専門の博物館やアーカイブの尽力を通じたこれらの人工物の積極的な保全に繋がっている。同時にドイツは、座って行うゲームは正当な余暇〈レジャー〉の営みであるという観念を反映し補強する、メディア環境を発達させてきた。実際、ドイツ国内の活発なゲーミング文化は、デザイナーや出版社に、オリジナルのボードゲームおよびテーブルゲームを創ることを奨励し、報いてきた。最後に、戦後における闘争というものへの姿勢は、ほぼ間違いなく、ドイツで仕事をするデザイナーの、競争的ゲームを創るという挑戦へのアプローチの形に相当な影響を与えていただろう。これらの特定の文化的商業的考慮事項は、ドイツにおけるゲーミングの発展に影響しただけでなく、産み出すゲームの形にも影響を及ぼした。これらが合わさって、なぜドイツはボードゲームデザインの世界的な革新の中心と認識されるに至ったのかについて、洞察を与えてくれる。


第四章 ドイツゲームからユーロゲームへ

“十年ごとに新しい趣味〈ホビー〉の形式が出現し、大量の新しいゲーマーを補給してきた。1960年代にはその熱狂はウォーゲームだった。1970年代はRPG、コンピューターゲームは1980年代に爆発し、1990年代はCCGをもたらし、そしてこの新世紀はドイツゲーム現象を目撃した。” (De Rosa 1998)

 1970年代を通じて、ドイツにおけるゲーミング趣味〈ホビー〉の状況はアメリカやイギリスのそれとまるきり異なるというわけではなかった(Dagger 2003)。しかし、前章で説明した影響の下、1982年から1994年までの間ドイツゲーム市場はしばしば年10%に届くほど強力な成長を経験した(Kramer 2000a)。新たな屋号のうちあるものは確立された出版社によるもので、あるものはこの成長市場に参入する新会社によるものだった。

 この時代を通じてドイツのデザイナー達は、創造的な、かつ国内で成功を収めたタイトルを、連続的に産み出してきた。より広い英語圏のゲーミングコミュニティは1996年に至るまでこれらのゲームに簡便にアクセスする方法を持たなかったものの、ゲーム狂による複数の小集団が、最初はイギリスで、後にはアメリカで、ホビイスト文化の主要商品になる遥か以前から、このドイツゲームの発展を追ってきていた。重要なのは、このムーブメントの噂がこのホビーゲーミングコミュニティを通じて拡がっているとき、1990年代後半のインターネットの興隆がグローバル規模での情報の流布を可能にしていた、ということだ。

 ドイツのゲームのワールドワイドな人気は、申し合わせたマーケティング的努力の結果というよりは主に口コミによって生じたもので、出版社は熱狂的ホビイストが生んだ需要に応えていた。これらのホビイストコミュニティは、ゲーミング文化の大黒柱としてのユーロゲームの出現において根本を成すものだった。


第五章 ユーロゲーム・ジャンル

“今日の世界には、ユーロゲーム・デザインと呼ばれるゲームデザインのムーブメントがある。その起源は1960年代に遡り、80年代に隆盛しはじめて、90年代には世界中に広まった。”(Berlinger 2009a)

 1980年代初頭にドイツに登場したそれらのゲームは、その後、卓上ゲームのデザインやプレイの世界に影響を与えることになるが、そこには他のホビーゲームや一般市場〈マス・マーケット〉向けゲームと一線を画する特色がいくつもあった。またユーロゲームは、個々の事例に基づく傾向として、テーマよりもメカニクスの役割を重視する取っつきやすいゲームだと言える。直接対立ではなく間接的な対立を促進し、運の要素を弱め、プレイ時間を予測可能なものとし、多くの場合、ゲームを構成する要素の質と演出の点で非常に高い水準にあった。

 本章では、このケーススタディ的な要約から一歩進み、合計139個のタイトルを分析することで、ユーロゲームに分類されるゲームの姿を明らかにしていきたい。取り扱うゲームのリストは、『カタンの開拓者たち』の初版が発表された1995年のSpiel des Jahres 受賞作および最終候補作としてノミネートされたものから、10年後、ユーロゲームがグローバルなゲーミング文化に多大なる影響を与えるようになった2005年までのものを取り扱う。このリストには、ユーロゲームに分類されるタイプのゲームが反映されているだけでなく、ジャンルの人気の上昇を示すものと審査員に見なされた顕著な作例も含まれる。ユーロゲームは、実際には様々な特色を有するものだが、プレイヤーの多くはそれを共通の様式的手法〈コンベンション〉によって特徴付けられるジャンルのことだと思っている。そのため、ここでの分析の多くは、ジャンルの議論では共通して行われるような、必要な一般化による類型から構成されるものだ。本章では、ユーロゲームが、そのメカニクスや目標〈ゴール〉、テーマにおいて、いかに理解しやすさや個々人の達成を重視しているのかを取り上げる。本章の目的は、ホビーゲーマーがこれを指して「これこそユーロゲームだ」と言えるような、ユーロゲームの明瞭な特徴を明らかにすることである。


第六章 ホビーゲーマー

“どんな種類のホビーゲーミングも、美的な枠組、倫理のパノラマ、そして社交的ダイナミズムの体系化された感覚をプレイヤーの人生に付け加える。その帰結として、個人の探求と表現のはけ口、そしてコミュニティへの関与と精神的成長の機会が供給される。”(Lenarcic and Mackay-Scollay 2005)

 前章までは、ホビーゲーミングの歴史と、ホビーゲーミング文化の進展に貢献した個々のゲーム形式に、主に焦点を合わせていた。既に記したように、広いホビーゲーミング文化の中の独立したジャンルとしてのユーロゲームの出現は、出版社の側で申し合わせて行われた商業的努力によるものというよりも、むしろ概ねこの文化内の口コミで引き起こされたものだ。ここでの重要な疑問は、本質的にヨーロッパの家庭を対象とした市場から発展したそれらのゲームが、なぜそれほどホビーゲーマーの間で人気になったのか、ということだ。これに答えるためには、まず第一にホビーゲーマーとはどのような人々のことか、そして第二にボードゲーミング文化への参加が一般に何を伴うかについて、明瞭な理解が必要となる。

 そのためこの章では、余暇〈レジャー〉の営みにおいてボードゲーミング趣味〈ホビー〉が中心を占めているようなプレイヤーの動機と活動について検討する。ウェブサイトBoardgamegeekのメンバーたちは特に活動的かつ容易に近付けるゲーミングコミュニティであるという見定めのもと、プレイヤーとプレイの振る舞いについての私の分析は、このサイトのメンバーへの大規模な調査に基づいている。サイトのメンバーの基本的な人口統計を概観した後、メンバーを特定の種類のボードゲームプレイヤー……すなわちゲーミング・ホビイストとして明白に位置付ける、ボードゲームへの熱狂の程度について論じる。この熱狂は様々な形で明確に示されるが、このホビイスト文化への積極的な参加、ゲームの入手と蓄積、そしてこの趣味〈ホビー〉への伝道的熱意の度合いを通じて示される熱狂は、最も特筆に値するものだ。このレベルでこのゲーミング趣味〈ホビー〉に携わっているという点で、これらのプレイヤーは、時折ホビーゲームを遊ぶような広汎な人々の典型から外れている。この区別には、この本の後半で行う遊び〈プレイ〉の議論のための重要な派生がある。


第七章 プレイの快〈プレジャー〉

“ゲーミングはダイスを転がしてトラック上で駒を動かすことじゃない。ゲーミングというのはインタラクションと意思決定と社交スキルのことだ。” ― Alan Moon, in Aleknevicus(2002)

 前の複数の章で、ボードゲームホビイストの人口統計を略述し、そこで彼らが誰であるか、彼らが遊ぶゲーム、そしてホビーゲーミングの文化に彼らが積極的に参加する様々なありかたについての概要を出した。調査回答者たちをこのホビーゲーミング文化の中のとりわけ活動的な参加者だと確認し、私はこのグループを、ただ時々の気晴らしとしてボードゲームで遊ぶ人々と区別しようとした。多くの人々がホビーゲームを遊ぶものの、「ホビイスト」であるかもしれないのはそのうちのわずかな割合だけだ。これらの人々にとって、ホビーゲームはとりわけ強い魅力を持っている。大まかに言って、ホビーゲームはその個人の余暇〈レジャー〉の習慣において重要な部分を成している。これらのプレイヤーにとってのこの趣味〈ホビー〉の悦び〈エンジョイメント〉において、ゲームを遊ぶ以外の活動が重要な構成部分となっているのは明らかだ。ここでは、この重要な区別を心に留めつつ、現代ボードゲームのプレイからプレイヤーは如何に悦びを引き出しているのか、という特定の質問へ注目を向けることにしよう。

 この目的により本章では、プレイヤーがそこから悦びを引き出すような、ボードゲームの要素およびプレイの体験について調査している。まず始めに、一般にゲームに関係する、動機と悦びについての過去の理論を検討する。この検討により、現代ボードゲームで共通に使われている特定のメカニクス、そしてそれらとプレイヤーの悦びとの関係について議論するための文脈がもたらされる。続いて、複数のボードゲームに共通に見受けられる様々な要素を同定のうえ議論し、またこれらの要素がゲームの悦びに寄与する程度についても議論する調査回答を使い、私は特に、ゲームが引き出すゲーム内インタラクションのあり方から見たプレイヤーの選好に焦点を合わせている。最後に、ボードゲームのプレイの一般的な体験と、現代ボードゲームのプレイから引き出される快〈プレジャー〉の全体の中でこの体験の諸相をどれくらいプレイヤーが重要なものとして見ているかについて、議論する。


第八章 目標〈ゴール〉と結果

“社交的プレイ〈ソーシャル・プレイ〉においては、真のゲーマーは勝利のためにはプレイしないが、しかしかれは勝とうと努めることがゲームにおける「プロット」を作るのだということを知っている。それゆれに彼・彼女は「全員が勝とうと努める」というプロットを疑いも無く信奉しているわけだが、しかし不首尾に終わってもそのことはすぐに忘れてしまえる。というのは、勝たなかったことの落胆よりもそのプロットによって進行するゲームの悦びのほうが大きいからだ。” ― Moritz Eggert, in Heli(2007)

 前の章で私は、プレイヤーの悦びに寄与し得るいくつかのゲーム要素について言及し、ホビイストにアピールするボードゲームのプレイの鍵となる側面を突き止めた。一般的に言えばそれは、最重要な種類の快〈プレジャー〉を提供する、プレイの社交的側面だ。知的挑戦、ゲーム内のインタラクション、その他様々な要素も個々のゲームの特徴として重要ではあるものの、ゲームから得られる総合的な快は、プレイに伴う社交性の中に見いだされるものだ。現代ボードゲームの大多数が表面上は競争を中心にして組み立てられていることを考えれば、プレイヤー達はどのようにしてゲームの出会いを取り巻く社交的文脈のなかで競争的プレイの折り合いをつけているのか、ということについての疑問が生まれる。短く言えば、プレイヤー達は、そこから快がもたらされるような陽気な雰囲気を維持するために、社交性と競争の間の目に見える衝突をどのように御しているのだろう?この疑問について検討するには、まずはプレイヤーにとってゲームの目標が何を意味するのか理解する必要がある。


第九章 切り離された行為?

〔※「切り離された行為」An Act Apartは、『ホモ・ルーデンス』(Huizinga 1950)に登場する概念。〕

“明らかに、我々は単にゲームをプレイしているのでは全く無い。あるいは、別の言い方をするなら、我々はゲームだけをプレイしているのでは全く無い。我々は常に、そのゲームと我々の生きるこの世界との関係、そのゲームが小さな部分を占めているこの世界との関係に意識的だ。”(Sniderman 1999)

 これまで、プレイヤーがふたつの異なる規範に折り合いをつけるやり方を見てきた。ひとつめは、ゲームの構造によって要求されるプレイの競争性で、ふたつめは、ゲームの悦びの主要な源を供給する社交性だ。私の結論は、プレイヤーの多くは勝利を……表向きの「より良い」結果を……自らの悦びの重要な要素とは見なさない、というものだった。プレイヤーの大半は、そのゲームの出会いの社交的結束を維持するためなら、とりわけ「フェアプレー」の観念を再利用することで、規定されたゲームの目標を喜んで放棄するように見うけられる。

 ボードゲームのプレイにおけるゲーミングの出会いの社交的文脈の影響をさらに調べるため、このプレイヤー調査には、チート、口出し、欺き、キングメーキングといったゲーム内活動についての質問を含めた。これらの質問への回答により、ゲーム世界の「現実世界」からの分離を保つことにプレイヤーが重点を置いているのが明らかになった。興味深いことだが、プレイの正しい形というものについてプレイヤー達が持っている様々に異なった期待や理解は、ゲームの明示的ルールが第一にそのゲームの実際のプレイを築くフレームワークとして作用する、ということを示唆している。